昭和44年3月11日 朝の御理解
中村良一
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」
踏み広げて通るのは繁盛じゃとこう仰る。段々、踏み広げて通る繁盛のおかげを頂きたい。教祖様のお開きになられた道というのは、そういう道なのだ。ね。教祖様のご時代よりも、二代様。二代様の時よりも三代様、そして四代様という様に、段々、御道の信心が、華やかに、ぱーっとと言う訳ではないですけれども、ね。それを踏み広げて通る、ね。次第次第に広がっていくと言う道。ですから、おごりがましいことをすなと仰せられるのでございますから。まぁ、分相応の生き方とでも申しましょうかね。という事は、自分を知ると言うことだと思うのですね。自分を知る。自分を知らなければ、その、相応という事すらも分からない。おごりがましい事をすなという事は、分に応じたと言うことだと思う。ために、一つ己を知らなければならぬ。ね。そこから、勿体ないことだと言う生活が始まるのですよね。その、勿体ないの信心生活から、次第次第に踏み広げて通る道。いわゆる、次第次第に繁盛していくおかげを頂かなければならない。
そこで、こうやって、お互い信心をさせて頂くのでございますから、必ずその、繁盛のおかげを踏み広げて通る道を開かせて頂かなければならん、頂かねばならんのです。そこでその、最後に、ね。道に草を生やすようなことをすなと。道に草を生やすようなことをすな。折角、開かせていただいた、その道に、例えば、子供が、孫が、ね。それを、道に草を生やすようなことのないおかげを頂かなければならん。ね。子や孫やらという事でもない。私共でもそうです、頂いたその道。例えば、私が、ここまでおかげを頂いて、ま、段々、道を踏み広げてここまで来た。折角、ここまでおかげを頂いてきたのに、私は、これから、道に草を生やすようなことをしたんでは、折角の、おかげに対して、まぁ、泥を塗るとか、傷をつける事になる。ね。ですから、私は、より、いよいよ、この道を踏み広げて通らなければならない。ね。そこで、私共が、自分で通っておるその道に、草が生えておるやらいないやら分からん様な事では出来ません。分かれば、自然に、ね。やはり、いわゆる、除草をしなければね、草を取らなければおられない。草が生えていきよる事も、生えたことも分からんから取らんのです。そこで、私は思うのですけれども、いわば、私の生き方、ね。はぁ、私の、この生き方さえ、皆さんが会得しておきゃ、いよいよ、子孫繁盛に繋がるのであり、同時に、道に草を生やす様な事はないなと、まぁ、確信もって、今日は、その事が、しきりに思われる。私の生き方でいけば、・・・。
昨日、末永さんが、ここへ出てきてから、とにかく親先生、合楽で頂く、その御教えというものはね。本気で頂こうという気にならなければ。本気で分からせて頂こうという気にならなければ、とても分かる事じゃないとこう言う。私は、それを聞いて、ほんになるほどそうじゃなぁと思うんです。たまたま、他所のご信者さん方が見えて、ここであの、御理解を皆さんが、あーやって頂いておりましょう。やっぱ、聞きつかんです。分からんです。分からんというよりも、その、本気で聞く腹がないから。本気で頂こうと言う姿勢がないから。おかげは頂きたいけれど、本気で、その教えを頂こうという気がないから分からん。そこでその、本気で頂こうと言う気になり、わからせていただこうと言う気になると、ほんなら、誰でも分かるように、いうなら、噛んで含めるように説いてある事です。そんな事を、昨日、末永さんが言うんですよ。ほんになるほど、それはそうだなぁと、私は思いました。
今日は、ここで、北九州教務所管内の、若い青年教師の先生方が、いわゆる、青年教師の方達が、ここへ、みんな集まってまいりましてね、明日まで、いわゆる、丸一日間を、ここで、寝泊まりさせて頂いて、信心の研修をやろうと。去年もちょうど、今頃でしたかね、ここでございました。今年も、ここでございます。ですから、折角、皆さんが、遠いところから来るんですよね。長崎県辺りからでも来るんですよ。ね。北九州管内ですから。ですからその、折角、道の御用に、しかも、生涯かけて、人が助かることの為に、ね。いうなら、献身しておる。いわゆる、身を捧げておるのである、神様へ。一生、生涯をかけて、ね。そういう、人が助かることの為に、人の難儀が助かることの為にお使い下さいという精神の元に、御道の教師に、皆がなっておられる。ほんなら、どうすれば、その難儀が助かるか、自分も助かって行けるかと、という様な事を、それぞれの先生方が持っておる難儀というか、問題を提起して、その問題を、まぁ解明して行こうと、分からせていただこうと言うのが、今度の会合される、まぁ焦点になるらしいんですね。それで、折角、合楽教会にご縁を、いわば、頂かれるわけでございますから。どうぞ一つ、本当に、立派な先生方になられて、立派なお取次ぎ者として、沢山の人が、これから助かっていかれることのための、何か一言でも、ここで分かっていただいて、確信もって、世の難儀に打ち向こうて行かれる、難儀の民、氏子のために、奉仕していかれることの為に、お役に立つような信心を頂いて貰いたいという事を、ま、このご通知を頂いてから以来、此の方、私は、そのことを神様にお願いしているわけです。
今朝も、その事をお願いさせて頂いておりましたら、御神願に、菜の花を頂くんですよ。菜種の花ですね。誰でも一つ、生涯に、一遍は花を咲かせたい。これが願いなんです。だからこれは、道の教師に関わらず、信心させて頂いて、いや、信心させて頂いておらんでも、誰でも、そういう願いを持っている、ね。一花咲かせたいとか、ね。立派に成功を修めたいという様な気持ちは、誰だって持っておる。それでいて、一生、いわば、その、そういう願いを思いながら、ある人は諦め、ある人は、願い続けて、願いが成就せんままに終わっていく人でも、これは多いかも分からん。とりわけ、道の教師に、生涯を捧げるのでございますから、ね。本当に、人が助かることの為に、自分があるのですから、助からなかったらもう、目も当てられないのですよね。ね。ですから、本当に、人が沢山助かって、いうなら、そういう意味合いにおいてです、一花咲かせたいと言う願いは、みんな持っている。ところが、大したこともないなりに、一生を終わっていくと言う先生方も、沢山あろうかと思う。ね。いわゆる、菜の花が咲かんのである。菜の花が咲きゃ、どっからか、飛んでくるか分からない、いわば、蝶の、まぁ、それこそ、歌の文句じゃないけれどですね。蝶の口付けを受けることが出来るんですけれども、ね。花が咲かんから、蝶が飛んでこんのです。甘い蜜がないから、その蜜を求めてやってこないのです。ね。ですから、ここには、例えば、私がここに、甘い蜜を持っておればです。その蜜を求めて、もう、どっからとはなしに、集まって来る筈です。ね。花が咲けば、花から花へ飛んでくる、その蝶々が、必ずあるはずです。ね。
これは、例えば、今日の八十四節を頂いておりますと、ほんなら、一花咲かせたと言うだけではいけんのです。ね。細うても長う続かねばと仰る。また、踏み広げて通る道でなからなければ、繁盛ではない。いわゆる、私共は、ここで、教祖が仰っておられる、その繁盛のおかげを頂きたい。それには、ほんなら、一花咲かせたと言うだけではなくて、その花が咲いた、そして、蜜を求めてやってくる、ね。その花を慕うてやってくる、ね。そして、その花がね、私は、色々、花も実もあるというおかげをいただかにゃいけんと思うです。花は咲いても、実らん花も沢山ありますからねぇ。
そういう意味合いで、例えば、今日の、若い先生方が集まって、願いとされるところは、本当に、菜の花のような信心を頂きたいという事に、私は、焦点が絞られなければいけないと思うのです。ね。菜の花が、咲きさえすれば、必ず、蝶は飛んでくるのである。ね。飛んでくれば、甘い蜜を持って帰って貰うことが出来るのである。難儀な氏子が助かっていくのである。ね。しかも、その菜の花は実るのである。だから、花も実もあると言うおかげを、それだけでもいけない。それがね、光の元にならなければいけない。ね。菜種油という、いわゆるあの、昔はその、行灯なんかには、菜種油を焚いたんですねぇ。いわゆる、光の元なんです。なるほど、菜の花のような信心させてもらや、私は、おかげが受けられるという事が分かるのである。ね。
そこでその、菜の花のような信心を目指して、おかげを頂くという事は、ほんなら、どういう事なのだろうか。どういう信心させてもらや、菜種の花が咲くようなおかげになってくるのであろうか。ね。そこで一つ、その、菜の花の菜という字を、一つ分解してみる。ね。草冠に、世の中の世と言う字が書いてある。下は木である。ね。気は心。世の中、いわゆる、草冠は、ここでは何時も、成り行きとか、自然とかという風に、御理解頂くですね。
今日、私が、皆さんに、聞いていただく、分かっていただく。これは、青年教師の方達だけではない。これは、お互いの、一人ひとりが、一花咲かせたい。しかも、花だけではない、実も頂きたい。しかもそれが、光になるようなおかげも頂きたい。ね。細うても長う続くような繁盛のおかげを頂きたい、ね。細い道でも、次第に踏み広げて行きたい。だから、そこの所のおかげは、まぁ、絶対のものとしてです。こうして皆さんが、このように信心を続けていかれれば、その繁盛のおかげは、まぁ、頂けるものとしてです。なら、頂いたら、そこからですね。その道に草を生やさん様にすることの為に、信心を、夕べの御理解じゃないけれども、肝心要の所を頂いておかなければならない事になるのですね。ね。だから、これさえ体得しておけば、ね。これさえ、頂かせていただけばという事になる。だから、ここで、本当に私を、まぁ、親先生と言うて下さる方達には、私は、一人ひとりに、それを言うんですよね。せっかくここに、こうしてご縁を頂いて見えられるのであるから。私の、これだけは、あなた方が、受け取って下さいよ。分かっておって下さいよ。あなた方の、ものにしておいて下さいよという事がございますでしょうが。ね。それをね、いわゆるその、菜の花の菜という字じゃない。いよいよ、成り行きをね、大事にさせて頂くという事。尊ばせて頂くという事。そのことは、真の信心に対する、真の修行にもなることであり、ね。だから、真の、真のおかげは受けられることでもあり、同時に、そういう信心をさせて頂いておるとです。ちゃんとね、草が生えた時には、草が生えたことが、すぐ分かる仕組みになってるんです、成り行きを大事にしていくという事は。ね。いわゆる、道に草を生やさんですむ、生えてもすぐ取れるのです。ね。そこの所の、言うならば、感度というか、それが、段々、夕べも私が申しましたように、神経がこもうなる。ね。神様が、ほら、そこに、草が生えたじゃないかと、ここに、このように生えとるじゃないかと言うて下さらんばかりにです。その、草の生えた事を、そこに見ることが出来る。気付かせて頂く事が出来る。成り行きを大事にしていきゃ、それが出来る、分かる。ね。ですから、例えていうならば、おごりがましいことも出来んのである。
道に草を生やす様な事をすな。私共は、ここに道を、確かにここに、繁盛の道を、ここに頂いて、頂くことを、一つの前提としてですね。今日はお話をしておるわけです。ここまで、いただかにゃいかんのですね。いうなら、一花咲かせにゃいかんのです。しかも、その花が実にならなければ、それが光にならなければ。為にはです、いよいよ、その成り行きを大事にさせてもらうという事は、神様の思し召しをね、御神意を、例えば、奉戴してですね、神様のお心を、お心として頂いていくという事ですから。これは、真の信心であり、真の修行であり、真のおかげを受けられん筈がないわけですがですがです。その、頂いたおかげをですね。また、元に戻す様な事のないようなおかげ。いうならば、道をですね穢さんですむと言うか、いよいよ、その道が、親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代と、広がっていくようなおかげにしていくために、これは、どうでも、ここだけは体得しておかねばならん。そしてそれを、子に孫に伝えていかなければならん。ね。折角の、頂いたこの道に、草を生やす様な事をしてはならんのだと。ところが、何時生えたやら分からんようにして、雑草が生い茂る様な事になったんではです、出来ませんけれども、私の病気とでも言おうかね、生き方を、皆さんが、本当に、体得してくださるとね。そこに、草が生えたら生えたで、たことが分からせて貰える。
例えて申しますなら、今、若先生が、あぁして、足を病んでおります。ね。そこで、ほんなら、若先生が、そこに、そのことによって、はぁ、自分の踏み広げていきよる道に、草を生やしたなぁと気付かにゃいけません。ね。そして、それを、根からこんから、取り除かせていただく、私は、おかげを受けなければいけん。ね。それを、ただ、その原因をですよ、他のほうから持ってくる様な事では、おかげにならん。勿論、あぁした、一つの難儀ですよね。昼も夜もなしに痛むらしいんです、ね。ですから、その難儀をです。まともに受けて立たせて貰うと言う、いわゆる、修行精神と同時に、どうして、このような苦しい思いをしなければならないかという事はです。ね。そこに先生が気付かせていただいて、そこから、改まりの生活が出来、ね。そこから、雑草が取り除かれて、次の道を踏み広げていくようなおかげを頂いて行く、言うなら術を覚えて。術と言えばね、術と書いてあるね。様々な術があるんですよ。力を頂くと言うても、ね。今日、私、石川五右衛門ば頂いた。御神願に。あれはあの、泥棒の術を知っとったんですよね。だからその、術の使い方がですね、ね。人が助かることのために使ったり、ね。神様のご機感に叶わん様な事に使ったり、同じ頂いてもです。その頂いたものを、そういう風に、私は、乱用したり、逆用したりする様な事では、おかげにならん。
私は、これは敢えて、皆さんに聞いて貰いたい事があるんですけれどもね。昨日でしたか、久留米の井上さんがお参りしてきてましたですね。久留米の、井上峰子さんの姉さんです。今朝方から、その夢を頂いたち言うんですよね。それはもう、先生が、沢山の人が参って、あの教衣を着けて、お説教なさっておられる、私がです。ね。それをその、皆が分からん。いっちょん分かりよる風じゃなか。それで、とうと先生が腹かきなさった。折角、私が、これだけ、まぁ言うなら、お話しをしよるのに、あんた方が、もう分からん。私は帰ると言うてその、えらいその、腹かいてござるところじゃった。ところがです。そこに、一人の紋付袴を着けた、小さい先生がおられる。こじんまりした先生である。その方がその、いわゆる、私の前に出てきて、お夢の中でですよ。私の生き方が間違うておりましたと。私の生き方が間違うておりましたと。これからはと言うて、私の前に、平身低頭して、お詫びをしておられる。よくよく見たら、その先生が、何と、どこどこの先生でございましたとこう言うのである。見たごたる先生と思いよったら、ほんに一遍、この先生にお目にかかった事がある。その先生であった。それこそ、今をときめく先生です。ね。世界総助けのためにです。ね。世界氏子の総助けのためにと言うて、もうそれこそ、席の温まる暇もないように、それこそ、東に西に飛び回って、御用を頂いておられる先生なんです。まぁ、いうならば、ある意味合いにおいては、名実ともに、日本一の教会の先生なんです。ね。その先生がです、私の前に、私の生き方が間違うておったと。それは、どういう様な事であろうかと、私は思う。そして、今日、私が頂いておる、その御理解の中からです。ははぁ、この先生の生き方では、それこそ、一世を、ま、半生をですね、その先生の言う。半生を風靡し、恐らく今後、一生涯を、ま、いわゆる、一生を風靡されるほどしのゴヒレイをこれからも、打ち立てられていかれるであろうけれども、それこそ、大変な、広い大きな道が開けたであろうけれどもです。これは、必ず、雑草が生える。生えたら、その取る術を知らない。ね。
お父さんの時には、あのような繁盛であったけれども、子供の時になったら、その道は、かならす狭うなる。その生き方では。ね。そういう意味でですよ。とにかくその、様々な意味合いにおいてその、一世を風靡すると言うほどしの、まぁ、繁盛とか、ヒレイとかね、という事の人がありますよ。
ま、例えて言うならば、あの、よく一つの例話に出されますね、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、ね。織田信長という人は、まぁ、それこそ、ま、いうならば力、腕力で行った人でしょうね。「鳴かぬなら、殺してしまえ、不如帰」と言う、腕力です。ね。そういう腕力を持って、いわゆる、一世を風靡した人なんですね、織田信長という人は、ね。もう、俺の言うことを聞かぬなら、攻めてしまえと言う訳なんです。ね。いわゆる、言うことを聞かぬなら殺してしまえと言う生き方なんです。それでも、やはり、風靡された、繁盛されたと。豊臣秀吉といや、もう、いよいよ、ね。豊太閤と、関白の位まで受け、また、自分で作ったのかも知れんけれども、一、百姓の小倅でと生まれながら、あれだけの、いわば、出世をした人。いわゆる、一世を風靡した人なんです。ね。ところが、この人はです、腕力ではなくて、知恵をもって風靡した人なんです。ね。もう、様々な、あの手この手をもって、鳴かせにゃおかん、知恵をもってした人なんです。いわゆる、「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、不如帰」であったと、ね。いわゆる、知恵をもって、例えば、繁盛したところで、腕力を持って繁盛したところで、ね。それは、どのような、例えば、術を心得ておってです。おっても、その術がです、ね。泥棒の、日本一の大泥棒になるための術であったんではいけないでしょうが。そういう意味合いでです。例えば、徳川家康は、どういう生き方であったかと言うとです。ね。「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、不如帰」と言う生き方の人であった。ね。いわゆる、私の生き方ですね。成り行きを待とうと、時期を待とうと。どうですか、徳川三百年という、長い歴史を持ち続けることが出来た。ね。やはり、今でも、徳川家といや、大したものである。という様にですね、そういうその、生き方。鳴くまで待とうと言う生き方。いわゆる、成り行きを大事にしていくと言う生き方、ね。そういうおかげを頂きよると同時に、教祖の、成り行きを大事にしていくという事がです。ね。これは必ず、ね。自然の中に、それこそ,これが神の声であろうか、神のお姿であろうかというものを、目の当たりに見せたり、聞かせたりさせて頂きながら、道を進めていくのですから、草を生やす、ね。その気になっておれば、生やすことが要らん、気付かんという事がない。ね。
ところが、ここに、一番はじめに言うてあるように、おごりがましいことをしておると、ね。神様が、ほらほら、草が生えたぞと仰っておっても、それに気が付かん。おごりがましいことになっておると、ね。ここんところが、良く分からにゃいかん。ね。なるほど、その一世を風靡する。とてもとても、言うならば、私共の生き方では、適いもしないほどしのゴヒレイを打ち立てておられる、その教会、その先生がです、ね。その人の、なるほど、そういう繁盛の元を頂かれるようなものを持っておられるけれども、それはです。石川五右衛門じゃないけれどもね。その自分の生き方、その知っておられる一つの術をもって、ね。その、繁盛しておられると言うこと。あぁ、繁盛は有難い。けども、そういう例は、幾らもあるんです。そらもう初代の時には、飛ぶ鳥も落とすような勢いで、人が助かり、または、繁盛した、これは教会だけじゃないです。信者の場合でもそうです。ね。それは、様々なその、繁盛する術をですね。心得ておったからでもありましょうけれどもです。ね。これが、本当にその、成り行きに順応したものでなかったと、ね。言うならば、花もあり、実もあり、光にもなると言うものではなかったという事。ね。言うなら、自然、ね。成り行きを大事にしながら繁盛した、いわば、細いけれどもその、それを踏み広げて通った道じゃなかったという事である。ね。
そこにです、例えば、その末永さんじゃないけれども、合楽で頂く御理解はね、頂こうと言う気に、本気でならなければいただけないし、分かろうと思わなければ分からないとこう言う。けれども、頂く気になれば、分かろうという気になれば、子供でも分かるように、噛んで含めるように言うて聞かせてあるという事をです。私共は、心に銘記してね、いわば、本気でそういう、本決めにさせて頂けれる繁盛の道を頂きたい。ね。同時に、繁盛だけではなくて、その繁盛の道に、草を生やさんで済むような、いわゆる術を心得ておきたい。
今日の、今日から明日にかけての、青年教師会の事についてです。こうしてお礼させて頂きよりましたら、只今、お話申しましたような事を頂いて、頂いて、ほんなら、御理解を、教典を開かせて頂きましたら、ただ今、八十四節を頂いた。ね。それとこれとが、このような風にして繋がっていく。八十四節を頂いて、なるほど、もう繁盛は絶対のものとしてです。それから、草を生やさんですむためには、繁盛は、ほんなら、どこどこの、誰さんの所でも、繁盛のおかげは頂かれると言うのです。今言うておる、それこそ、日本一の大きな教会でですね、繁盛のおかげを頂かれると。けれども、これはね、道に草を生やさんですむ術を、今のその生き方では分からないという事。ね。だから、皆さんも、あの繁盛のおかげを頂くという事は絶対のもの、おかげは、絶対のものとしてです。それから先、おかげを落とさんで済むだけじゃなく、それを段々、こう末広がりにですね。広げていく、昨夜からの御理解ですよね。そういう、繁盛一途を辿らせて頂けれるだけの、いわゆる、基をね、お互い、頂いておかねばならん、作っておかねばならんのですから、皆さん、その、末永さんじゃないけれども、本気で頂く気にならなければいけないということ。本気で分からせていただこうと言う気にならなければいけないこと、ね。分かったら、本気で、それを、より自分のものに、血に肉にしていくだけのです、精進が、修行が必要であるという事。どうぞ。